現在縁があって海外で暮らしているが、幼少時は主に秋田県の大森町(現:横手市)で暮らしていた。いわゆるド田舎であり、家の周りは全面田んぼでした。
周辺は牛が多くガンガン牛の声が聞こえており、西に雄物川、東にはよくわからない低山が並んでいた。
さすがに当時(7,8歳頃)は自然がいっぱい!気持ちいい!なんて感覚はこれっぽっちもなく、山には栽培していた野菜、果物、干し藁の回収などに行って虻に刺されてよく帰ってきていた。
冬にはスキーをするのだが、一番近い大森スキー場(ロープ2期:ワイヤーロープをぐるぐる回してそれにつかまり上に滑って登っていく(スキーグローブはすぐ擦り切れたり滑るので基本は軍手使用)でも車で20分かかる。
スキー場へは誰かに車を出してもらわないといけないので、基本的にはスキーを担いで裏山を登って滑ってを繰り返していた。途中スコップでジャンプ台などを造ったりもしてなかなかテクニカルなコースを滑っていた。この時の経験があったおかげで一時期でもスキーの選手としてやれたのだと思う。
今風に言えばこれ「バックカントリースキーじゃん!」となるのでは?
その後、小中学生くらいになると従兄(当時スキー指導員兼レスキュー)に連れられ鳥海山へ春スキーに行くようになった。(自分の記憶では今の様に雪渓を滑った記憶はなく車道(恐らく鳥海ブルーライン)の横を滑ったような気がする。今と違い積雪量が多かったので車道にも残っていたのかな?
そもそもここを滑ってよかったのだろうか?
とにかく記憶は曖昧な為なんとなくそんな覚えがあるだけです。
今風に言えばこれも「バックカントリースキーじゃん!」
その他、秋田駒ヶ岳、八幡平と行ったようだがほとんど記憶がないのです。
その後も関東周辺の2,000m以下の山を母や友人と登りに行ったがやはり心の山といえば鳥海山!!!
秋田を離れてからも数回登っており冬の赤旗設置や簡単なハイキングのガイドなどもした。どこが一番よかったなんてものはないのだけどこの山だけは特別な気がします。
以前は写真に一切興味がなくカメラも持っていなかった。
この時はかろうじて写ルンですで一枚だけとっていたようです。
写真は七ツ釜の上あたりからの七高山かな?
確か1999年の7月だったと思う。矢島口から七ツ釜避難小屋(1泊)を経由して七高山を経由して鉾立に下りた。山頂は面倒だったのかよくわからないが踏みませんでした。下りの御浜周辺はものすごい花畑になっており年配のハイカーの方が涙していたのを見た記憶がある。
ここではビジターセンターの方々や写真家のかたなどいろいろな方と知り合いになりお世話になった。遠く離れてはしまったがいつか帰らん山の筆頭です。
おススメルートは祓川(由利高原鉄道に必ず乗車する事)⇒タクシーで矢島⇒七ツ釜(小屋で一泊すれば尚良し)⇒新山⇒御浜⇒鉾立