【Kantang/กันตัง at Trang District/จังหวัดตรัง】
カンタンについてはコチラ👇
このカンタンすごく古くはないですがそれなりに興味深い歴史のある田舎町なんです。
これも前回の記事で書きましたが、プラヤー・ラッサダー以前と以後で大きく町が変わります。
Phraya Ratsadanupradit Mahitsaraphakdi(1857–1913)
プラヤー・ラッサダーのことはひとまずおいておいて、多くはありませんがカンタン市内の観光地と食について紹介していきます。
先ずは観光地から。。。。
- 【Kantang Train Station/国鉄カンタン駅】
- 【Khuan Tamnak Chan Public Park/クォンタムナックチャン公園】
- 【ต้นยางพาราต้นแรกของประเทศไทย/THE FIRST PARA RUBBER TREE OF THAILAND】
- 【บ่อ หลุมพี / Lumpee Pond】
- 【พิพิธภัณฑ์พระยารัษฎานุประดิษฐ์มหิศรภักดี / Phraya Ratsada Nu Pradit Mahisara Phakdi Museum】
- 【ストリートアート】
- 【บริษัท บั่นเซ่งหิ้น จำกัด/BAN SENG HIN & CO.,LTD】
- 【ศาลเจ้าฮกเกี้ยนก๋งก้วน/福建公所天湄宮】
- 【瓊州公所】
※後で気が付きましたが⇧の言語が統一されてない。。。
【Kantang Train Station/国鉄カンタン駅】
もしかしたらカンタンの観光としてはココが一番有名かも。
黄色の映える駅舎。
以前来た時よりきれいになってるんで色を塗り足したんでしょう。
ここに汽車が入ってくるのは一日一本(毎日バンコクから来る汽車が11:20に到着し12:40発でバンコクに向かいます)
なのでこんな感じで集会所みたいになってます。
これはまだ使えます。
田舎の駅には結構置いてありますね。
これも使える
コロナ対策で設置された手洗い場、排水は線路に。。。
駅も名物ですが、観光に来る方は併せてホームにあるコーヒーショップにも立ち寄ります。
【LOVE STATION】
駅のホームにあるというだけでただのコーヒーショップと言っていいでしょう。
駅と同じ色使いをしており見栄えがいい。。。若い女の子は必ずここで写真をとるでしょうね!
駅には2時間くらいいてしまったのですが、滞在理由はほとんどこの方。
一見ただの駅員さん。
駅内を女房と別々でウロウロしていたのですが、お互いにこの駅員さんといろいろ話をしました。自分は駅の歴史だの測りはまだ使えるのか?など聞いていたのですが、そこそこ打ち解けると改札にある箱をオープンします。
普段は鍵をかけてます。
中身は・・・
なんと!!【ナムプリック】
「自家製なんだけど一つどお?」
と売り始めます。
なんだ!?この駅員は?と一瞬なりますが、
この駅に入ってくる汽車は1日1本のみ。
それ以外にもやることはあるでしょうが、暇なんですね。。。
しかし駅で駅員がナムプリック売るかね?
しかも女房にも同じことしてたそうです。
面白いのでこの駅員と暫く話をしました。(仕事は暇なのでいくらでも話に付き合ってくれます)
ここの駅員は5年くらいしかやってないですが流石に人生のベテラン、話がおもしろい!克、適当!
話をしているうちに駅員さんが女房のアクセント「あんたTrangの人じゃないねえ?Nakon(ナコンシータマラート)の人かな?」
やはり隣り合った県でも違うんですねえ。。
「Nakonのどこ?俺もNakon出身なんだよ」
女房が○○と答えると、
「!!!家はどの辺り?」
またまた女房が答えると
「ナムサクン(苗字)は?」
女房が返答します。。。
「なんだあ!あんたどこどこの娘か?」
もうびっくり。。
この駅員さん、生家は女房の生家から徒歩20秒、恐らく小さいころに一緒に遊んでもらってます。そして女房の叔父(父側の弟)であるトンチャイ叔父の教え子との事。
二人で激しく盛り上がってる中自分は叔父のトンチャイが教師をやっていたことに驚きました。この叔父はかなりの人物で車を運転すれば道路の端は危ないと言って道路が2車線あっても必ず真中を走り、速度は国道でも30kmくらいまでしか出しません。
以前それでNakon Si Tamaratからうちまで3日かけてきたことがあります。
また、叔父も芸術畑の人間でナンタルン(影絵芝居)やタイ南部の伝統舞踊(マノーラなど)の演者件指導者。伝統芸能の演者などというと聞こえはいいですが、伝統舞踊の内容を自分で勝手に面白おかしくアレンジなどをして踊るなどとにかくとんでもない人物なのです。
南タイの伝統舞踊『マノーラ』のHunter Boonを演ずるMr.トンチャイ叔父
/2014年、バンコクの寺院での南タイ行事にて
しかも駅員さんがこの叔父に教えてもらっていたのはいわゆる「道徳」。
さすがにこれには二度驚きました。。。
1時間近く立ち話をし、大いに盛り上がる中、駅員の叔父は仕事せず。。こうなると買わないわけにはいかないとなり【ナムプリック】を購入、あちらも普通の値段で売るわけにはいかないとなり半額近い値段になりました。(因みにこのナムプリックがやたらと旨い!)
そうしているうちに1日1本の汽車が入ってくる時間になりました。
駅員の叔父もついに仕事をします。
こういう所はやはりかっこいい。。
これで1日の大きな仕事はおしまい。
後は汽車の出発とダラダラして過ごす、そしてチャンスがあれば副業のナムプリック売り。
このカンタン駅、我々にとっては時別な出会いがありましたが、ただ観光に来たら見栄えのいい駅舎とコーヒーショップになります。
周辺ののどかな雰囲気もいいですが、この辺りはどこもこんなもんです。
【Khuan Tamnak Chan Public Park/クォンタムナックチャン公園】
1900年代に当時の皇太子がここを訪れこの敷地内の丘に宮殿を建てたのが歴史の始まり。
第二次大戦中には日本軍の基地として使われましたが戦後全て取り壊され園地化されたようです。
一応多くのアトラクションがありますが、あまりそそるものはありません。
高台になっているので多少勾配はありますが軽い散歩程度と考えていいでしょう。。
高台にあるビューポイント
ここからはトラン川やカンタン市内が見下ろせます。
日本人にとってはココがメインになるでしょう。
日本軍が基地として使っていた時に掘った地下基地。
入口には見張りが2名。
ナイフ、水筒を持っており準備はいいですが、銃は折れてます。。。
そして基地内へ。。
こんななんの雰囲気もない通路がちょこっとあるだけ。。
完全に子供の遊び場と化しており、この女子3名は休みの度に来ているそうです。
直ぐに降りようと思ったのですが、この女子たちが園内を案内するというので付き合います。
パンダ
象さん
これは滝だそうです。
やさしい女の子の案内により園内の全てのアトラクションを体験したところで次へ行きます。
【ต้นยางพาราต้นแรกของประเทศไทย/THE FIRST PARA RUBBER TREE OF THAILAND】
タイで一番最初に植えられたゴムの木とあります。
もちろん同時期に植えられたゴムの木は何本もありますが、現存する中で最古のものだそうです。
経緯についてはカンタンでいろんな方に聞きましたが結構曖昧。。
一番信憑性の高そうな話をここでは使わせてもらいます。
1900年代初頭、当時のトラン知事プラヤー・ラッサダーがマレーシアの見本市に出向いた時の事、マレーシアでゴム栽培が成功しているのを見てタイに持ち込みタイで栽培するアイデアを思いつきます。そこで当時のゴム農園のオーナー連中(西洋人)と交渉をするも分け与えることを拒否されタイに持ち帰ることができませんでした。
1901年にインドネシアに行ったプラヤー・ラッサダーは自前の蒸気船に載せてタイに持ち帰った記録があるそうですがこの時はゴムの木が外からわからないようインドネシアから出したとか諸説あります。ゴムの木をカンタン持ち帰ったプラヤー・ラッサダーは自分の別荘の前に植えました。その別荘跡には現在カンタン農協が立っておりそれが現存する最初のゴムの木です。
大通りの横に普通に植わってます。
簡素な説明書があるだけで、こんなに歴史的に重要なものにスペシャルを感じることができずややさみしい気もしますね。。
【บ่อ หลุมพี / Lumpee Pond】
特に観光地ではありませんが、ゴムの木を見に行く途中で見つけたので寄っていくことに。。
とても古い井戸でここの水は長い間カンタンに暮らす人々をサポートしてきました。流石に現在は水道設備も整いよほどの事でない限りお世話になる事はないようですが、未だに水を汲みに来られる方がいるそうです。
昨年、市が大掛かりな井戸の清掃を行いましたが意外と汚い、しかし井戸の水は透明度は高いです。
このような歴史のある設備についてはもっと知りたいのですがこれ以上はわからず。。。
【พิพิธภัณฑ์พระยารัษฎานุประดิษฐ์มหิศรภักดี / Phraya Ratsada Nu Pradit Mahisara Phakdi Museum】
前述しているKantangの父プラヤー・ラッサダーの邸宅がミュージアムとなってます。
今回のTrang旅行は女房が南タイの人もありトラン、リボン島、カンタン、移動時もいれて全てストレスのないものでした。人はやさしく、優しくない人は面白く魅力ありととにかく人が良かったのです。唯一ここで例外が出ます。
我々が行った時のミュージアムの係員。
入口でコロナ対策の為、検温し用紙に名前と電話番号を書き入れました。この用紙はスマホのアプリでQRコードでチェックインできない人が変わりに書き入れるのですが、我々は二人ともアプリを入れてないので案内の通り記入、ところが係員のおばさんが「QRコードでスキャンせんかい!」とぶっきらぼうに。。
我々にはQRコードシステムがない事を説明し中に入るも2,3度嫌がらせに近いような事をしてきます。
自分が見ていた限り女房の言い方も特におかしくなく丁寧だったように見えました。
何故にこんな態度をしてくるのかわかりませんが(日本人が嫌いなのか?たまたま腹の虫が悪いのか?)途中からついてくるおばさんを無視して二人で見学。
100年以上前の建物ですがなかなかおしゃれな外観。
階段の中二階に大きな戸があるデザインもいいですね~
二階の寝室
もう一部屋
この写真がちょっと面白い、
中央に杖を突いているのがプラヤー・ラッサダー
これは当時のトランでプラヤー・ラッサダー主催で行ったいわゆる仮装パーティのようなもの。100年以上も前にこんなことするんですからなかなか傾奇いた方だったようです。
ラマ5世時代までは華人は王室などからもかなり優遇されていたのでやりたい放題ではあったんでしょうね。
そして驚きはプラヤー・ラッサダーの左側に立っている人物。
この方後のラマ6世。要はモンクットクラオと呼ばれた皇太子です。
周りの人たちも政府の要人やプラヤー・ラッサダーの身の回りの人物で仮装はしてますが、ラマ6世がしている仮装はなんと日本の侍?もしくは殿様の恰好!
当時のKantangは貿易が盛んだったのでプラヤー・ラッサダーなら手に入れることも可能だったでしょう。。因みに1900年頃だと日本は明治30年~40年くらい、侍の時代ではありません。
ラマ6世は王様になってからは前述の華人優遇を取り払い華人はタイ人と同化である!と論文「東洋のユダヤ人」を残しました。
ここからは本当の話かわかりませんが、ラマ6世は人気、実力、行動力のあるプラヤー・ラッサダーがラマ6世の華人優遇撤廃を受けクーデターを起こし王室を追い出すことを恐れ、バンコク都に近い土地での職にはつけさせなかったと言われてます。
確かに未だに英雄視されているプラヤー・ラッサダーの力は驚異だったでしょうね。
これは同じ仮装パーティーでのプラヤー・ラッサダー。
さすが傾奇者、タイ人の女装です。
その他館内は多くの家具と写真が飾られてます。
日本軍にゆかりのある物もありなかなか面白いミュージアムです。
全部見終わった後に再度おばさん係員と顔を合わせるのですが、女房は何もなかったかのようにいろいろ質問して聞いてます。かなり頭に来ていたのですが見学中に頭が冷えましたね。
最後に博物館の向かいにある仏具屋で見たプラヤー・ラッサダー像。
職人さんに「あんまり似てないね!?」と言うと
これは自分が作ったものでなく、ミュージアムが払い下げたものをもらってきたのだそうです。
【ストリートアート】
Kantangの街中にはいくつかのウォールアートがあります。
ほとんどにスポンサーがついて宣伝にあてているだけなようであまり土地にゆかりのあるアートはありません。
マレーシアのイポーのアートだと一応土地にゆかりのあるアートを描いてますが、Kantang wall artには全く興味がわきません。
【บริษัท บั่นเซ่งหิ้น จำกัด/BAN SENG HIN & CO.,LTD】
ここも非常に興味深い。。
が、中には入れず。。。
コチラは元貿易商社。
貿易港Kantangの名残ですね。。
綺麗な建物なんです。
このように道路沿いの目立つ建物
ここからまっすぐ引いていきます。
大きなゲートがあり
立派な橋と通り。
流石、貿易商社
ココは旧Kantang港から一直線に会社があります。
以前はマレーシアやシンガポールからの船(主に食品)がここに着いたそうです。
これが当時の作業風景
建物はそのまんまですね。
この写真はKantang内の歴史建造物のいくつかで飾られてます。
こういうのを見るとロマンがありますな~
因みに現在、、、、。
この穴を見てください。。
燕の巣をやってます。。。
要は現在内部はごちゃごちゃでしょう。。
何か残念な気もしますがKantangが貿易の拠点ではなくなったので仕方ないですね。。
オーナーは当時のBAN SENG HIN & CO.,LTDの一族だそうで、未だに会社はメイン事業Selling bird's nestとして登記されてます。
【ศาลเจ้าฮกเกี้ยนก๋งก้วน/福建公所天湄宮】
あまり中国の事はわからないので、たまにこういったものを見ると実際は何なのか?と思うことが多々あります。
地元の方に聞くとここはお寺ではなくShrine/神社なのだと思われ、
要はお坊さんはおらずここに詰めてる方は神様をお世話をする方なのです。
กวนอู/Guan Yu像、日本でいうところの三国志の関羽です。
ここが天湄宮といわれるところ。
天上聖母(媽祖)
漁業の守護神、道教では最も位の高い女神で福建省で強く信仰されてます。
Kantangは旧港町ですが、ここに住む華僑の多くは福建人です。
一応『宮守』の方がおり、時間をかけてたっぷり説明をしてくれます。
あまり大きくない田舎の中国寺社ですが、こういった方の案内を受けることで1時間いても全く退屈しません。
案内通りに参拝して最後にこの金箔をまぶした紙を焼きます。
これはお金を意味するそうです。
右の赤い突起から煙があがり、対面の穴は【BAN SENG HIN & CO.,LTD】の横壁にある燕の穴
この焼香台は数十年前まではこの吹き抜けの下にありました。
天湄宮を移動させたため焼香台も奥に移動してます。
そしてこの建物の2Fにも特別に上げてもらえました。
板張りの強度が怪しいですが、なかなかの広さ。
以前はこの部屋に天上聖母があり、宮守は大広間に詰めていたそうです。
建物の老朽化により今の位置に。。
因みにここは観光客が来てもあまり人が来ないようでかなりのんびりしてます。
宮守の方も夕方には自宅に帰るそうです。
1Fの空いているスペースは屋台の道具置き場。
有効活用ですね。
【瓊州公所】
集会所みたいなとこでしょうか?
ここにも聖母が祭られてます。
瓊州公所とありますが瓊州は清の時代まで中国本土に実在していた州の名称。
ここには珍しいものがいろいろあります。
やはり宮守のような方がでてきて詳しく説明してくれました。
ひとまずもう一度参拝。。
ノコギリエイの鋸。
作りものかと思ったら本物!
かなり古いもののようで海の守り神みたいな位置づけでここに置いてあるらしいですが、扱いはいたってテキトー、触れます、持てます。
そして2F
ここからは飾ってある写真などを含め一点づつ全て説明してくれました。
宮守さんは基本的に女房に合わせて説明をしてくれるので言葉は南タイ語ということもあり自分には半分位しか理解できませんでした。
このうえの白黒画像は最初のゴムの木を植えた場所の写真。
なんの写真だったかな~、、、思い出せない。
この女の子は上の写真の真ん中で膝の上にのっている子。
下の写真は現在。90歳超えてるそうです。
この会館の数件先で未だにお菓子を作って売ってます。
ご結婚はされず一人で暮らしているとの事。。。
これは偉い人たちの写真集。
これは1Fに置いてありますが、カンタンで最初にできた学校の看板。
扱いはやはり適当。。。
この会館も1時間くらい滞在してしまいました。
流石に中華会館2連発の2時間コースだったのでそろそろ限界。。。
最後に1Fで90歳のおばあさんが作っているお菓子を買って行きました。
観光を終えて。。。
このカンタンの観光施設ですが、終わってみればほぼ全ての場所に案内役の方がいたように思います。
皆さん日本でいうところのシルバー世代で何人かはボランティアだと思います。
単独で見て歩くのも気楽ではありますが、このガイドの方々にも歴史があるので必ず話を聞くことをおススメします。
Kantangに3日間滞在してこれだけの観光をしましたが、ウチの観光は他と比べてかなり一つ一つに時間がかかっていると思います。また、その辺の通りや普通の商店での立ち話も異常に多いので通常に観光だけするなら丸1日で可能かと思います。
ウチにとっては3日でも足りませんでしたのでまだまだ見てみたいところがあります。。また次回に残しておきましょう。。。
~次回はKantangの食~